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津地方裁判所 昭和24年(行)20号 判決

原告 若山佐兵衛

被告 三重県知事

主文

別紙目録記載の土地の買収計画につき原告のなした訴願に対し、三重県農地委員会が昭和二十四年六月三日附でなした右訴願を棄却する旨の裁決はこれを取消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、主文と同趣旨の判決を求め、その請求の原因として、

一、原告は別紙目録記載の農地の所有者であつて、昭和十二年以来自ら耕作していたところ、昭和十八年原告の実兄である訴外若山実雄が帰村して暴力を以つて原告の占有を奪い、爾来同訴外人が右農地を不法に占有して耕作している。

右訴外人は昭和二十二年六月五日前記農地の所有権を主張して、原告を相手取り松阪簡易裁判所に所有権移転登記請求訴訟を提起し、同時に原告に対する立入禁止の仮処分を執行したが右訴訟が進行するにつれ原告の勝訴となることが明らかとなつたので、同訴外人は右訴訟を取下げ、更に右農地の小作人として茅広江村農地委員会に対し、昭和二十年十一月二十三日の現状において右農地の買収計画を立てられたい旨申請した。

二、茅広江村農地委員会は右申請を採用して昭和二十三年四月十五日右農地に対する買収計画の公告をしたので、原告はこれに対し同月二十一日右農地委員会に異議の申立をなしたが、同委員会はこれを却下した。よつて原告は同年五月二十五日三重県農地委員会に対し右買収計画につき訴願をなしたところ、同委員会は実地調査の結果原告の主張が正当であることが分明したのにかかわらず、昭和二十四年六月三日右訴願を棄却する旨の裁決をなした。

三、本件農地の買収計画樹立の理由は、原告が昭和二十年十一月二十三日現在において本件土地を耕作の目的に供せず茅広江村在住の若山実雄が耕作していた事実があるから自作農創設特別措置法(以下自創法と略称する)第三条第一項第一号及び同法第三条第五項第五号(但し昭和二十四年五月三十一日法律第百五十五号による改正前のもの、以下同じ)民法第二十一条を適用し不在地主の所有地として買収するのが相当であるというのであるが、右買収計画は左の理由により違法である。

(1)  本件農地は自創法第三条第一項第一号の小作地には該当しない、蓋し自創法第三条第一項第一号の小作地とは、同法第二条第二項に規定するとおり耕作の業務を営む者が、賃借権等同項列挙の正当権限に基いて業務の目的に供している農地をいうのであつて、本件農地のごとく若山実雄が何等正当の権限なきにかかわらず不法に占有耕作しているものは含まないからである。

(2)  本件農地は昭和二十四年五月三十一日法律第百五十五号による改正前の自創法第三条第五項第五号の不耕作地に該当しない。右第五号に規定する不耕作地は農地の所有者等が耕作し得る実情にあるにかかわらず任意耕作の目的に供していない場合を規定するものであつて、本件農地のごとく原告が耕作せんと欲するも若山実雄から暴力を以つてこれを妨げられたために耕作し得ないような場合を含むものでないことは議論の余地がない。

(3)  本件土地の内、三重県飯南郡茅広江村大字茅原字中田二千四百四十番の一田十八歩、同村大字茅原字新殿三千四十一番畑五畝十八歩、同村大字茅原字小川五十七番畑一畝十五歩、同村大字茅原字小川四十六番の二畑九歩が現況農地であることは認めるが、同村大字茅原字小川四十七番の一畑五畝十一歩、右同所四十六番の一畑一畝八歩、同所四十七番の三畑四畝七歩の三筆は昭和二十三年四月十五日の本件農地買収公告当時は竹林及び果樹園であつて未墾地であつた。而して原告が昭和十八年訴外若山実雄に右土地の占有を奪われるまでは右土地の竹林及び果樹は原告においてこれを管理し自作していたものである。尤も右果樹の間に僅かの蔬菜を栽培していたがこれは原告とその毋とが共同して耕作していたものであつて、その耕作一切を毋に一任していたわけではない。仮りに右三筆の土地のうち現在農耕用に使用せられている土地が農地であると認められるとしても、それは右土地の一部分に過ぎない。従つてその部分を除いた以外の部分を農地として買収したことは違法である。

以上の理由により本件土地の買収計画は違法であり、従つて三重県農地委員会が右買収計画を是認して原告の訴願を棄却したのは失当であるから、右裁決を取消す旨の裁判を求めるため本訴請求に及んだ。と陳述した。(立証省略)

被告(本訴は当初三重県農地委員会を被告として提起せられたが、その後三重県農業委員会が訴訟を承継し、更に三重県農業会議の成立によつて三重県知事が本訴を承継した)訴訟代理人は、原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求め、答弁として、原告主張事実中、原告主張のごとき農地買収請求、これに基く農地買収計画樹立及びその公告がなされたこと、原告が右計画に対し異議の申立をなしたが却下されたこと、原告が更に三重県農地委員会に対し訴願したが、同委員会は右訴願を棄却する旨の裁決をなしたことは、いずれもこれを認めるも、訴外若山実雄が原告主張のごとき訴を提起した事実は不知、右訴外人が原告の本件農地に対する占有を暴力を以つて奪つた事実は否認する。

本件農地は元原告の兄若山実雄の所有であつたが、同人は昭和十二年中原告に対し右農地を売渡した。然し原告はその以前から松阪市において陶器商を営んでおり、本件農地を耕作することができなかつたので、原告の毋が本件農地を管理耕作していた。若山実雄は昭和十八年帰村し爾来毋と共に本件農地を耕作し、毋死亡後は同人が単独で右農地を耕作していたものである。若山実雄が本件農地を耕作する権限は原告との間の使用貸借契約に基くものである。

原告は本件土地の内三重県飯南郡茅広江村大字茅原字小川四十七番の一畑五畝十一歩、右同所四十六番の一畑一畝八歩、同所四十七番の三畑四畝七歩は竹林及び果樹園であつて未墾地であると主張するが、これは否認する。右土地に生育する竹及び果樹についても肥培管理がなされ筍及び果実を収穫していたものであつて昭和二十三年四月十五日の本件買収計画樹立当時も同様であつた。

以上のごとき事情にある本件農地を不在地主の小作地として買収計画をたてたことは何等違法ではない。と述べた。(立証省略)

理由

別紙目録記載の土地が昭和十二年以来原告の所有であつたこと、茅広江村農地委員会が昭和二十三年四月十五日右土地に対する農地買収計画を樹てこれを公告したこと、原告がこれに対し異議申立をなしたが却下されたこと、原告が右買収計画に対し更に三重県農地委員会に訴願したが、これも昭和二十四年六月三日棄却せられたことはいずれも本件当事者間に争いがない。

而して成立に争いのない甲第一号証によれば、茅広江村農地委員会は別紙目録記載の土地が自創法第三条第一項第一号の小作地及び同法第三条第五項第五号の不耕作地に該当するものとして、これに対して買収計画をたてたこと、又成立に争いのない甲第三号証によれば、三重県農地委員会は別紙目録記載の土地が自創法第三条第一項第一号に該当する小作地と認定して原告の訴願を棄却したことがそれぞれ認められる。

よつて右訴願棄却の裁決の当否を判断する前提として前記買収計画が適法なりや否やについて案ずる。

第一、先ず別紙目録記載の土地が農地なりや否やについて案ずるに、

(一)  三重県飯南郡茅広江村大字茅原字中田二千四百四十番の一

一、田 十八歩

同村大字茅原字新殿三千四十一番

一、畑 五畝十八歩

同村大字茅原字小川五十七番

一、畑 一畝十五歩

右同所四十六番の二

一、畑 九歩

が農地であることは本件当事者間に争いがない。

(二)  当裁判所の第一、二回検証の結果、証人若山実雄、同橋本隆吉、同鈴木安吉、同小野英一の各証言及び原告本人尋問の結果を総合すれば、昭和二十三年四月十五日本件農地買収計画樹立当時、

右同村大字茅原字小川四十七番の一

一、畑 五畝十一歩

同所四十七番の三

一、畑 四畝七歩

同所四十六番の一

一、畑 一畝八歩

の内には現況農地となつていた部分と未墾地(竹林及び雑草地)とが存在していたことが認められる。(別紙図面参照)。被告は右土地に存在する竹林及び果樹については肥培管理がなされ、筍及び果実を収穫していたから右(二)の土地全部が農地である旨主張し、証人若山実雄は右竹林に落葉等の肥料を施し又筍を収穫した旨供述するが、竹林が農地と認められるためには筍或は竹材の収穫を目的として、計画的に肥培管理がなされている土地でなければならないと解するを相当とする。たまたま落葉等を竹林に施肥した事実があつたとしても、それが筍又は竹材の収穫のために計画的になされた肥培管理でないならば、それは樹木の育成を目的とする山林と何等えらぶところなく、これを農地と見ることはできない。然るに証人橋本隆吉、同名古忠蔵、同小野英一の各証言及び当裁判所の第一、二回検証の結果を総合すれば昭和二十三年四月十五日本件農地買収計画樹立当時は右竹林は自然の生育のまゝに放置されていて、特に計画的な肥培管理がなされていなかつたものと認めることができる。果樹については昭和二十三年四月十五日本件農地買収計画樹立当時、肥培管理がなされていたことを認めるに足る証拠がないのみならず、当裁判所の第一、二回検証の結果によれば右土地には果樹、茶の木等が十数本植えてあることが認められるが、その果樹等は、竹林、雑草地、畑の端等の所々に不規則に自然生のごとく植えられており、いわゆる果樹園としての外観を呈していないのみならず、前記証人橋本隆吉、同名古忠蔵、同小野英一等の各証言を総合すれば、本件農地買収計画樹立当時は、右果樹の植えてある区域の大部分は竹林及び雑草地として荒蕪地であつたことが認められるから、果樹の植えてある区域がすべて農地であるとは到底認め難い。本件土地のうち竹林及び雑草地の部分は、そこに多少の果樹が植えてあつても、やはり、未墾地と解するのが相当である。

然らば、右(一)の農地及び右(二)の土地のうち本件農地買収計画樹立当時現況農地となつていた部分が農地買収の対象となり得ることは明らかであるが、右(二)の土地のうち右買収計画樹立当時未墾地となつていた部分は自創法第二条第一項所定の農地でなく、従つて農地買収の対象とならないことは明らかである。

第二、次に別紙目録記載の土地の占有並びに耕作関係を見るに、

(1)  原告本人尋問の結果によれば、原告は昭和二年頃茅広江村を出でて松阪市に移住し、同市において陶器商を経営しており、前記(一)の農地の内茅広江村大字茅原字中田二千四百四十番の一田十八歩と同村大字茅原字新殿三千四十一番畑五畝十八歩(以下この二筆の土地を甲地と略称する)の土地は全然耕作していなかつたことが認められるから、右土地は自創法第三条第五項第五号にいわゆる不耕作地と解するを相当とする。

(2)  右(一)の土地の内茅広江村大字茅原字小川五十七番畑一畝十五歩、同所四十六番の二畑九歩及び右(二)の土地のうち本件農地買収計画樹立当時現況畑となつていた部分(以上の土地を乙地と略称する)については、証人橋本隆吉、同鈴木安吉、同名古忠蔵、同若山孝之助、同若山一雄、同若山秀松、同若山卯三郎、同楠木志乃、同楠木繁夫の各証言及び原告本人尋問の結果を総合すれば、原告は前記のごとく昭和二年頃より松阪市に居住し陶器商を経営していた関係上、昭和十二年別紙目録記載の土地の所有権を取得した後も自らこれを耕作することなく、右乙地も主として原告の毋をして耕作せしめ、原告は農繁期に月に一回位毋親の許に来つて農耕の手伝をしていたことが認められる。然らば右乙地については原告は不在地主であり、原告の毋が小作人として右土地を耕作していたものと解するを相当とする。原告はこの点につき右(二)の土地全部及び前記小川四十六番の二畑九歩は竹林及び果樹園として原告において自作していたと主張するが、証人名古忠蔵同若山孝之助、同若山秀松の各証言、原告本人尋問の結果並びに当裁判所の第一、二回検証の結果を総合すれば、茅広江村大字茅原字小川に存在する前記四筆の土地には果樹、茶の木等が十数本存在し、原告は松阪市より右土地に来つた際、その果樹に施肥し果実を収穫していた事実があることが認められるけれども、前記のごとく右果樹等の植樹状況はいわゆる果樹園という程のものではなく、竹林、雑草地、畑の端等に点々として不規則に植えられているものであるが、そのうち竹林、雑草地に植えられている果樹を除いて(この竹林及び雑草地は未墾地として農地買収の対象とならないから、この部分に存する果樹は考慮の外において判断するわけである)畑の部分に存する果樹の収穫と、農耕地としての畑の収穫とを比較すれば、その経済的利益は畑の耕作による方が遥かに多いと推測される。然らば仮令原告が畑の部分に存する果樹を肥培管理しその果実を収穫した事実があつたとしても、右畑の耕作者は右畑において農作物を栽培する原告の毋であつて、果樹を栽培する原告ではないと解するのが相当である。従つて現況畑となつている部分に関する限り、原告の自作地である果樹園であつた旨の原告の主張は到底これを採用することができない。

(3)  しかして前記各証人の証言及び証人若山実雄の証言を総合すれば、訴外若山実雄は昭和十八年茅広江村に帰村し、原告の毋と共に右乙地を耕作し、原告の毋が昭和二十二年死亡した後は、右訴外人において単独で耕作していたことが認められる。

(4)  原告は別紙目録記載の土地は、訴外若山実雄により暴力を以つてその占有を奪われたものであると主張し、証人橋本隆吉、同鈴木安吉、同名古忠蔵の各証言及び原告本人尋問の結果を総合すれば、原告が茅広江村大字茅原字小川の土地の一部に灰を施肥せんとした際、訴外若山実雄がこれを阻止した事実があることが認められるけれども、右小川に存在する土地のうち現況畑となつている部分は前述のごとく、原告の毋が耕作していたものであつて、原告が耕作していたものではないから、若山実雄によつて原告の占有が奪われるということは理論上あり得ない。

右乙地以外の土地につき訴外若山実雄が原告の占有を奪つた事実があるか否かについては、前記甲地は不耕作地であり又竹林及び雑草地は未墾地であつて、いずれも本件農地買収計画の当否を判断するうえにおいて、占有侵奪の有無は関係がないから、この点に関する判断は省略することにする。

(5)  然らば訴外若山実雄は原告の毋の死後、如何なる権限に基いて右乙地を耕作していたかというに、被告は使用貸借に基くものであると主張するけれども、原告と若山実雄間に本件土地の使用貸借契約が成立したことを認めるに足る証拠は何等存在しない。しかしてその他に原告と若山実雄間に自創法第二条第二項所定の権限に基く耕作権が発生したことを認めるに足る証拠も存在しない。原告とその毋との間の右乙地に対する貸借関係は使用貸借であると推測されるのであるが使用貸借は借主の死亡によつて消滅すること民法第五百九十九条によつて明らかであるから、原告の毋の死亡によつて、同人の有していた使用借権を訴外若山実雄において承継するということはあり得ない。この点につき三重県農地委員会が原告の毋の有していた耕作権を若山実雄が相続したものと認定したのは、失当であるといわなければならない。

然らば若山実雄の右乙地の耕作は無権限に基くものと解するの外なく、従つて本件農地買収計画が樹立せられた昭和二十三年四月十五日当時は右土地は小作地でなかつたものというべきである。

(6)  次に右乙地が昭和二十三年四月十五日当時自創法第三条第五項第五号にいわゆる不耕作地なりや否やについて案ずるに、同号にいわゆる不耕作地とは、所有権その他の権限に基いて任意にこれを耕作し得るにかかわらず、その所有権者等が耕作の目的に供していない土地をいうのであつて、第三者が不法に占拠している土地はこれに該当しないことは勿論であり、又本件のごとく若山実雄が原告の占有を不法に奪つたという事実が認められない場合であつても、成立に争いのない甲第四、六、七号証、証人橋本隆吉、証人若山実雄の証言及び原告本人尋問の結果を総合すれば、右土地の所有権については原告と訴外若山実雄との間に争いがあり、右訴外人は右土地が自己の所有なることを主張して、昭和二十二年六月五日頃原告を相手方として不動産移転登記請求の訴を提起し、原告が右土地に立入ることを禁止する旨の仮処分をなしたことが認められ、又原告が右土地に施肥せんとしたところ右訴外人がこれを阻止した事実があることは前記認定のとおりである。又原告本人尋問の結果及び証人小野英一の証言を総合すれば右訴外人において前記のごとき処置をなさなければ、原告は食糧不足の折柄、毋の死後は自ら松阪市より通つて右土地を耕作したであろうことが推認される。然らば右土地は原告が無為にこれを耕作せずに放置しておいたのではなく、原告がこれを耕作せんと欲するも右訴外人がこれを妨害してその耕作を阻止していたものであることが認められる。よつて右土地は自創法第三条第五項第五号にいわゆる不耕作地ではないと解するを相当とする。

第三、以上の事実に基いて別紙目録記載の土地に対する本件農地買収計画の当否を判断すれば、

(1)  前記甲地に対する農地買収計画は自創法第三条第五項第五号によつて適法である。

(2)  前記乙地に対する農地買収計画は右土地が自創法第三条第一項第一号の小作地にも、又同法第三条第五項第五号の不耕作地にも該当しないから違法である。

(3)  前記未墾地は自創法第二条第二項の農地ではないから、これに対する農地買収計画は違法である。

然らば本件農地買収計画に対してなした原告の訴願は、前記甲地については理由がないけれども、前記乙地及び未墾地については理由があるものというべきであるから、三重県農地委員会は右訴願を採択して茅広江村農地委員会の樹立した農地買収計画を適当に修正する裁決をなすべきであつたのにかかわらず原告の訴願を全部理由なきものとして棄却したことは失当であるというべきである。

しかして右訴願棄却の裁決は一個の意思表示として不可分のものであるから(内容的に見れば一部正当にして一部失当であるけれども)本件判決においてはこれを全部取消すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用したうえ主文のとおり判決する。

(裁判官 松本重美 西川豊長 喜多佐久次)

(別紙省略)

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